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August 2014

2014.8月2日

夫が逝ってからというもの、色々な雑務に追われ、落ち着き出したのはここ最近です。
夫の両親と二世帯で住んでいた家を、私と娘は出ることにしました。これからは弟夫婦が両親の面倒を見てくれるということになり、いつまでも私が夫の両親と住んでいては弟夫婦もやり辛いでしょうから。そして、私たちは環境を変えることが必要だったからです。見知らぬ土地に娘と二人、まずはスーパーの場所、コンビニの場所探しから始まり、今では三つのスーパーを使い分けております。近所に友達はいないけれど、この歳になると子育ても一段落さているので、あまり必要性はかんじません。今はLINEやFacebookなどで遠くの友達とも連絡がすぐにとれますからね。便利な時代ですね。
今の私はまだ夢の中にいるような感じです。本当の夢には夫がでてきてくれたりもします。ギュッと抱きしめてもらったりしてるので(夢の中ですが)本当はまだ夫が近くにいるような気がしてならないのです。
闘病の後半は泊まり込みでした。
毎晩眠るのが一番怖かった。夜中に看護師さんに起こされたらどうしよう、そんな不安を抱えながら浅い睡眠を数時間とる生活でした。夫の病魔はいきなり凄いスピードで夫の体を蝕んでいきました。緩和病棟に入ってから、急激に体力は低下、せん妄も出始め、同意書のサインも自筆ではかけなくなってきました。しばらくすると、右手のマヒが始まり、ペットボトルのフタも開けられず、私がそばにいなかった時には、思い通りにいかないことに苛立って、歯でこじ開けようとして前歯をおっていました。何も食べていないに等しいのに、毎日下剤を飲まされていました。人間の腸も内部は新陳代謝を繰り返しているので、古くなった腸壁が便となって排出させなければ腸閉塞になってしまうからです。そのクスリが効きすぎてしまうと、もう大変です。
ストックしていた下着やパジャマはすべて病室内にビニール袋にはいっており、とうぜんながら匂いも発していますから、いえに持ち帰ることができませんでした。私は、だまって病室のトイレで1人夫の汚れ物を泣きながら洗ったものです。洗ったものは近所のコインランドリーに持っていき、さらにまた洗い、乾燥させる。夫は私に「ごめん」とあやまってくれました。あなたが謝る必要はないよ、とは言いましたが心のなかでは、なんで私たちはこんな状況に身を置かなきゃならないの?
あなたも私も、なんでこんな苦しい状況に身を置かなきゃならないの? 私たちは…!
その時はそれなりの悲壮感でいっぱいになりました。辛いのはわたしじやなくて夫なんです。私は夫のそばについているだけでいいのです。しかし、事態はどんどん悪くなる一方でした。恐れていた腸閉塞を発症したのです。たまった腸壁の老廃物は逆流し、夫の口から吐瀉物として体外に排出されるようになったのです。黒いタールのような、重く粘り気のある物体が夫の口から吸引されている様は、苦しそうで可哀想で見るに耐えませんでした。日を追うごとに嘔吐する回数も増え、夫は意識が朦朧とし、眠り続けるようになったのです。言葉も発せず、荒い息づかいで、必死に生きようとしました。
抗がん剤治療をくすりを4回もかえて行い、放射線の治療もした。なにをしても効果は現れてくれず、以前私は夫に治療はやめてもいいよ、と言ったことがありました。でも夫は最後まで治療を頑張ると言っていました。やめたらもう死を待つだけになってしまう。生きる希望を治療の中で見出したかったのでしょう。でも、こんな辛いだけの、先のわからない治療なんて受けなければ良かった、という気持ちが今更ながらに頭をもたげてくるのです。
病院に入院していたときは、二人で病院のそばにある桜並木の葉陰で一本だけタバコを吸いに行くのが日課でした。退院したらどこか旅行に行こうと誘ってくれましました。
緩和病棟に入ってからはそういったこともなくなり、病棟内を歩行器や車椅子を使ってちょっとした気分転換をするぐらい。
オシッコは亡くなる一日前まで補助付きで自分でトイレですませていましたが、亡くなる日の朝一番で尿道カテーテルを装着しました。これで夫の身体からでている管は4本になったわけです。
辛かったね。
ごめんね。今はこんな言葉しかでてきません。

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