元気ですか?

おとさん、元気ですか?今はもう何処も痛くないよね。煙草も吸って、お酒も飲んでいるのかしら。いつもどこにいるかな。私たちのこと見てる? なっちゃんは年度末に高校進学の内部受験を受けるよ。塾にも自分で行きだしたよ。数学がね、やっぱり苦手らしいの。部活は水泳部も辞めて、陸上に入ったけどそれも辞めちゃった。他人とちょっとトラブル起こすとすぐ逃げるように辞めちゃうみたい。私としてはクラブ活動なんて学校生活の中ではおかずみたいなもんだと思っているから、それはどうでもいいかな。あの子が一番落ち着く環境を見守ってあげるしかないよ。思春期だしさ。最近は本当に口の利き方が私そっくりになってきてるから、おとさんがいたら、きっと毎日ブチ切れてたと思うよ。でもそうなの、あの子はもう小学生じゃなくて、来年には高校生になるんだよ。早いねぇ。おとさんが受験の日北千住まで車で送ってくれたんだよねぇ。雪が降っててさ。翌日の合格発表は二人でドキドキしながらパソコンの前で確認したね。それですぐに学校へ行って、入学手続きを二人でしにいったんだよね。その週の土曜日はさっそく茨木のほうまで家族ドライブ行ったね。益子焼作りに行ったんだよね。楽しかったね。

私は先週水曜日から中商に行きはじめました。中島さんのとなりで総務の仕事してます。

川辺さんも鈴木さんもいい人たちです。

でも、あの会社の内部に入るとすごいアウェイ感が痛いです。気を使われすぎて疲れてます。仕事をくれないのも疲れます。暇が一番疲れるのよ。

この家からだったら、家の近くのバス停から市川駅に出て、総武線快速で馬喰町で降りる、というコースで通ってます。でもバスは最初の一日目だけ、あと朝礼のある月曜日ね。その他は裏道が通れる時間を見計らって車で駅まで行ってるの。だから通勤は楽だよ。

本当は一緒にこの家に引っ越してきたかったね。

おとさんの好きな野菜直売所や果実園がいっぱいあるよ。

お隣さんはうちより猫をいっぱい飼ってるよ。

家にも遊びに来てくれるんだよ。

今夜はとても大きな台風が来るそうです。何も被害を受けないように、おとさんちゃんとガードしておいてね。よろしくね。

それじゃあお休みなさい。

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2014.8月2日

夫が逝ってからというもの、色々な雑務に追われ、落ち着き出したのはここ最近です。
夫の両親と二世帯で住んでいた家を、私と娘は出ることにしました。これからは弟夫婦が両親の面倒を見てくれるということになり、いつまでも私が夫の両親と住んでいては弟夫婦もやり辛いでしょうから。そして、私たちは環境を変えることが必要だったからです。見知らぬ土地に娘と二人、まずはスーパーの場所、コンビニの場所探しから始まり、今では三つのスーパーを使い分けております。近所に友達はいないけれど、この歳になると子育ても一段落さているので、あまり必要性はかんじません。今はLINEやFacebookなどで遠くの友達とも連絡がすぐにとれますからね。便利な時代ですね。
今の私はまだ夢の中にいるような感じです。本当の夢には夫がでてきてくれたりもします。ギュッと抱きしめてもらったりしてるので(夢の中ですが)本当はまだ夫が近くにいるような気がしてならないのです。
闘病の後半は泊まり込みでした。
毎晩眠るのが一番怖かった。夜中に看護師さんに起こされたらどうしよう、そんな不安を抱えながら浅い睡眠を数時間とる生活でした。夫の病魔はいきなり凄いスピードで夫の体を蝕んでいきました。緩和病棟に入ってから、急激に体力は低下、せん妄も出始め、同意書のサインも自筆ではかけなくなってきました。しばらくすると、右手のマヒが始まり、ペットボトルのフタも開けられず、私がそばにいなかった時には、思い通りにいかないことに苛立って、歯でこじ開けようとして前歯をおっていました。何も食べていないに等しいのに、毎日下剤を飲まされていました。人間の腸も内部は新陳代謝を繰り返しているので、古くなった腸壁が便となって排出させなければ腸閉塞になってしまうからです。そのクスリが効きすぎてしまうと、もう大変です。
ストックしていた下着やパジャマはすべて病室内にビニール袋にはいっており、とうぜんながら匂いも発していますから、いえに持ち帰ることができませんでした。私は、だまって病室のトイレで1人夫の汚れ物を泣きながら洗ったものです。洗ったものは近所のコインランドリーに持っていき、さらにまた洗い、乾燥させる。夫は私に「ごめん」とあやまってくれました。あなたが謝る必要はないよ、とは言いましたが心のなかでは、なんで私たちはこんな状況に身を置かなきゃならないの?
あなたも私も、なんでこんな苦しい状況に身を置かなきゃならないの? 私たちは…!
その時はそれなりの悲壮感でいっぱいになりました。辛いのはわたしじやなくて夫なんです。私は夫のそばについているだけでいいのです。しかし、事態はどんどん悪くなる一方でした。恐れていた腸閉塞を発症したのです。たまった腸壁の老廃物は逆流し、夫の口から吐瀉物として体外に排出されるようになったのです。黒いタールのような、重く粘り気のある物体が夫の口から吸引されている様は、苦しそうで可哀想で見るに耐えませんでした。日を追うごとに嘔吐する回数も増え、夫は意識が朦朧とし、眠り続けるようになったのです。言葉も発せず、荒い息づかいで、必死に生きようとしました。
抗がん剤治療をくすりを4回もかえて行い、放射線の治療もした。なにをしても効果は現れてくれず、以前私は夫に治療はやめてもいいよ、と言ったことがありました。でも夫は最後まで治療を頑張ると言っていました。やめたらもう死を待つだけになってしまう。生きる希望を治療の中で見出したかったのでしょう。でも、こんな辛いだけの、先のわからない治療なんて受けなければ良かった、という気持ちが今更ながらに頭をもたげてくるのです。
病院に入院していたときは、二人で病院のそばにある桜並木の葉陰で一本だけタバコを吸いに行くのが日課でした。退院したらどこか旅行に行こうと誘ってくれましました。
緩和病棟に入ってからはそういったこともなくなり、病棟内を歩行器や車椅子を使ってちょっとした気分転換をするぐらい。
オシッコは亡くなる一日前まで補助付きで自分でトイレですませていましたが、亡くなる日の朝一番で尿道カテーテルを装着しました。これで夫の身体からでている管は4本になったわけです。
辛かったね。
ごめんね。今はこんな言葉しかでてきません。

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9月9日

夫が亡くなりましました。

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7月9日

夫の体調、著しく悪い。体調だけでなく、私が深刻に受け止めているのは夫のメンタル部分。今更ながらに癌の恐怖に怯えている。そんな夫を見守る私にも恐怖は伝染している。最近私は食べることが苦痛になってきました。食べたくても食べられない夫を病院に残して、食欲が出るわけがない。夜は娘と食べるけれど、程なくすると吐き気に襲われ嘔吐してしまう。体重はもとが重かったから、これくらいの減少は屁でもない。大丈夫。
胃に狭窄がみられ、食べ物が胃に落ちていかない夫はどんどん痩せていく。入院が大嫌いで早くウチに帰りたいという。うでからの点滴も入らなくなりつつある。明後日は鎖骨下に穴を開け、中心静脈カテーテルを挿入することになった。これで痛い思いもしなくなり、栄養も末梢点滴の何十倍かにはなる。でもそれと満腹感はべつもの。食べ物をなんとかして経口摂取させてあげたい。
娘には今日、お父さんにはあまり時間がないことを伝えた。それまで夫の病状を伝えるたび、あまり聞きたくなさそうにしていた娘。話しが終わると部屋にこもってしまった。お母さんも辛い、でも頑張るから、あなたにも協力して欲しいと言ったら微かに頷いた。お母さんも、あなたも辛いけど、1番辛いのはお父さんだからね、と言ったらはっきり頷いた。みんな辛い、そんな中で私は心配してくれてる人全部に、ごめんなさいと言う気持ちでいっぱいになる。

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5月29日

最近になって、初めて、夫の情緒が不安定だったことがわかった。私に対して娘に対しての理不尽な言いがかりや、不安そうな表情。ガン患者であり家族である私が鬱病になるんだから、ガン患者である夫も、また鬱病を抱えているのでは、と思い今日、夫とともに精神腫瘍科の保坂先生にあって来た。やはり夫の情緒不安定は癌による鬱からきていると診断された。話を聞いてもらって、安定剤と睡眠薬を処方された夫は、少し楽になったように見える。良かった。

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5月13日

今日は自分の検診。子宮全般です。しかし、婦人科の待ち時間は嫌だのぉ。

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